解けない疑問
子どもの頃、父に問いかけた疑問を解くために努力したが、老人になった今も解けていないことを告白する兼好法師。
幼児の体験、仏をめぐる父との問答
人は死ぬとあの世に行って仏に救われるとされていた当時、その仏とは本当に信じられるものか兼好は父にたずねる。しかし、父は満足に答えられず途中で席を立ってしまう。徒然草の最終段、八歳の兼好と父との問答を描く。
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この木なからましかば
神無月の頃、人を尋ねる用があって栗栖野の先にある山里に分け入る兼好。苔むす細道の先にひっそりとたたずむ庵。出家したらこんな住まいをしたいと思い、しみじみ見ているとたわわに実のついた蜜柑の木があった。しかし、その周りには厳しい囲いが・・・。人間の物欲とは悲しいものだ。この木がなかったら・・・。
聖海上人の感涙
しだのなにがしに誘われて人々を伴って由緒ある神社へ行った聖海上人は、背中合わせに立つ獅子・狛犬を見て感涙する。しかるべき言い伝えを聞こうと神官に問う。神官は、いたずらな子どもたちの仕業で、実にけしからぬことです、と言って獅子・狛犬を無造作に据え直して立ち去る。唖然とする上人と人々。好人物の上人と神官の無表情な応答ぶりを楽しいアニメで紹介する。
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道を極めた名人の知恵
木のぼり名人といわれる庭師の話。見ているだけで怖い高さの梢を切り終え、するすると降りてくる弟子、黙って見つめる名人。軒ほどの高さまで来ると、名人「けがをするな。気をつけて降りよ!」 兼好「この程度まで降りたなら、飛び降りることも出来るでしょう。なぜそんなことを言うのか?」 名人「そこが問題なのです。けがはたいてい安全だと思われるところでするものなのです。」 道を極めた名人の知恵はまことに尊敬すべきものであると兼好は思うのであった。
徒然草と兼好法師
鎌倉時代に成立した徒然草の概略と兼好の生い立ちを簡略に解説する。
ある法師の失敗談
兼好が住んだといわれる京都の双ケ岡。隣接する仁和寺の法師の失敗談を描く。長年願っていた石清水八幡宮を参詣したと思い込んで帰ってきたある法師。参拝の人々が山に登って行ったが、神へ参詣するのが目的なので山の上までは見物しなかったと仲間に話す。実は、人々が登って行った山の上にこそ八幡宮があったのである。ちょっとしたことにも案内者はほしいものだと兼好は語る。
つれづれなるままに
兼好は無常の世をいかに生きるべきかを考え続ける。何ものにもとらわれず、落ち着いて静かで自由な心のあり方を求めた。そして、とりとめもなく自分の考えをめぐらし、心に浮かぶ様々なことを書き綴ったのである。第7段「あだし野の露消ゆる時なく」、広く知られた序段「つれづれなるままに」を結びに味わう。
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