おくのほそ道への旅
元禄二年、松尾芭蕉はおくのほそ道の旅に出る。江戸から東北地方を回り大垣まで約二千四百キロ、そのほとんどを徒歩で行く旅であった。なぜそんな困難な旅に出たのであろうか。序章の朗読を交えて旅への覚悟を描く。
旅 立
千住から旅立つ芭蕉と曾良。見送る門人たち。古くから歌に詠まれたみちのくの名所への憧れ。芭蕉の思いはそれらの歌枕を実際に訪ね、素晴らしい歌を詠んだ先人たちの心に少しでも触れることでもあった。
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可憐な少女かさね
那須野を行く芭蕉に馬を貸す親切な農民。あとを追う子ども二人。名を聞くと女の子が「か・さ・ね」と答える。優雅な名に曾良が一句。「かさねとは八重撫子の名なるべし」
あこがれの柳の木蔭
田植えの風景の中、芦野の里に遊行柳を訪ねる。聞こえてくる西行法師の歌「道の辺に清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちどまりつれ」。旅を愛し、一生を旅に過ごした西行をしばし偲ぶ・・・。気が付くと田植えも済み、辺りには誰もいない。芭蕉は「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」の句を残して立ち去る。
白河から松島へ
白河の関を超えていよいよみちのくへ足を踏み入れ、松島へ到着。松島では、あまりの素晴らしさに芭蕉は句を詠むこともできなかったようである。
夏草や・・・
藤原氏が栄えた平泉の城跡を訪ね、忠臣の戦いぶりに想いをめぐらす。杜甫の歌が思い出され、涙を流す。五百年前の義経の最期を印象深く描いて中世の歴史へ思いを馳せ、広く知られた「おくのほそ道」きっての名文「平泉」を味わう。
雨中の光堂
藤原三代の棺を納め、三尊の仏を安置している光堂は四面を新たに囲われている。芭蕉と曾良が訪れたその光堂は五月雨の中に輝いていた。
尿前の関
芭蕉と曾良は鳴子温泉から尿前の関を超えて出羽の国へ向う。関の近くの封人(関所の番人)の家に泊まる。蚤と虱に悩まされる。
尾花沢の清風
紅花が美しい出羽の国尾花沢に入る。俳諧を通した古くからの友人で、紅花問屋を営む豪商、鈴木清風を訪ね、心からもてなされる。芭蕉には、この旅で地方に俳諧を広めたいという思いもあったことに触れる。
松尾芭蕉の生い立ち
伊賀国上野に生まれ、蕉風といわれる新しい俳諧を確立した芭蕉の生い立ちを簡潔に紹介する。
立石寺・最上川・越後路
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」「五月雨をあつめて早し最上川」「荒海や佐渡によこたふ天の河」。有名な三句を美しいアニメーションで味わう。
大垣に到着
途中、病気の曾良と分かれて一人旅となった芭蕉も遂に大垣に到着。迎える門人たち。懐かしい曾良とも再会する。しかし、芭蕉はすぐに、また伊勢を目指して次の旅へと出発する。
結び
訪れた歌枕は時が移り、その跡も定かではないものもあった。しかし、昔を偲べるものもあり、古人の思いを確かめる思いであった。芭蕉は、この旅で不易流行という理念を生み出し、自らの句の新境地を開いていったのである。
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