「平家物語」ゆかりの地フォトアルバム
物語の舞台になった場所の現在の風景写真
【登場人物】斎藤実盛/木曾義仲/巴/今井兼平/源頼朝/源義経
【朗 読】平野啓子
実盛/一門都落/名虎/宇治川先陣/木曾最期
【解 説】平田悦朗
【監 修】三木紀人(城西国際大学教授・お茶の水女子大学名誉教授)
【撮影協力】東京国立博物館 林原美術館 徳音寺 神護寺 中尊寺 法住寺 鶴岡八幡宮
旗挙八幡宮 熱田神宮 誓願寺 法金剛院 安養院 鞍馬寺 首途八幡宮
埴生八幡宮 義仲館 満福寺 金峯山寺 吉水神社 班渓寺 鎌形八幡宮
毛越寺 中央公論新社
プロローグ
坂東には、十二・三束、十四・五束を射るもの多く、弓は二人張、三人張りのみを引くという。長井斎藤別当実盛が述べた東国、西国の武士の違いは信ずべき情報として受け止められ、平家の人々を脅かした。
加賀篠原の実盛
倶利伽羅峠の戦いで大敗した平家軍は、篠原で再度源氏軍に挑む。実盛は名を明かさぬまま討たれる。義仲はその首の黒髪を洗わせると白髪が現れ、実盛と判明。義仲をはじめ一同は涙を流す。
実盛と義仲
義仲の父義賢が悪源太義平に討たれる。その時、駒王丸と呼ばれた義仲を木曽の豪族、中原兼遠に預けたのは実盛であった。実盛は義仲の命の恩人といえる。
平家都落
義仲の軍勢は延暦寺を味方に引き入れ、後白河法皇を擁して都へ攻め上り、平家を追い落とす。都には痛切な思いがある平家の公達。歌を交えてその心情を描く。
朝日将軍木曾義仲
都入りを果たし、院宣により朝日将軍とまで呼ばれた義仲。しかし、田舎育ちの彼は粗野な男として人々の反感を買う。エピソードを交えて都での義仲見ていく。
頼朝の生い立ちと旗挙
頼朝の生い立ちと伊豆への配流、そして旗挙までを各地の実写風景を背景に概略を示す。
義経の生い立ち
義経の誕生から鞍馬寺、金売り吉次との平泉行までの概略を紹介する。
宇治川先陣
都に迫る義経軍。有名な梶原源太景季と佐々木四郎高綱の宇治川の先陣争いを朗読を交えて見ていく。
木曾最期
都を追われた義仲は、盟友兼平と勢田での再会を果たす。義仲の最後の奮戦ぶりと主従の心情を美しい絵巻と実写風景、味わい深い朗読を織り交ぜて印象深く描く。
義経の最期
平家一門を西海に沈め、兄頼朝の覇業成就に尽くした義経の功績は大きい。しかし、頼朝との対立は深まっていく。義経の没落を追う。
[物語の伝説と歴史]
本巻に関する物語伝説と歴史の地を紹介。
・房総(千葉県)-石橋山の合戦に破れた頼朝が海上を逃れ、上陸したといわれる地。
・神奈川県各地-石橋山の合戦に破れた頼朝が隠れた窟、頼朝の墓など多くの遺跡がある。
・嵐山町(埼玉県)-木曾義仲の生誕地。義仲ゆかりの寺、八幡宮などがある。
・平泉(岩手県)-中尊寺、無量光院跡、義経堂など義経と奥州藤原家のゆかりの地。
・五箇山(富山県)-平家谷ともいわれる五箇山は世界遺産。倶利伽羅峠の合戦に破れた平家軍の将兵が深山幽谷の
この地に落ち延びたといわれる。
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