「平家物語」ゆかりの地フォトアルバム
物語の舞台になった場所の現在の風景写真
【登場人物】平清盛/平重盛/俊寛/西光/藤原成親/後白河法皇 他
【朗 読】幸田弘子
祇園精舎/禿髪/殿下乗合/鹿谷/西光被斬/小教訓/烽火之沙汰/卒塔婆流/足摺/
法印問答/城南之離宮/入道死去
【能・謡曲】櫻間眞理「俊寛」
【琵琶演奏】須田誠舟「祇園精舎」
【解 説】平田悦朗
【監 修】三木紀人(城西国際大学教授・お茶の水女子大学名誉教授)
【撮影協力】宮内庁 東京国立博物館 奈良国立博物館 鹿児島県三島村
兵庫区立湊山小学校 林原美術館 六波羅密寺 赤間神宮 厳島神社
蓮華王院 法住寺 正林寺 神護寺 若一神社 八坂神社
石清水八幡宮 霊鑑寺 福田会本部 浄教寺 安楽寿院
祇園神社 薬仙寺 荒田八幡神社 日本鉄道貨物株式会社
プロローグ
平家物語は、平家一門を中心として古代から中世にかけての転換期を語る。その中心人物は平清盛。
物語は、「諸行無常、盛者必衰」を冒頭で予告し、語り始める。
平家の栄華
平家一門の拠点であった六波羅一帯とその栄華を紹介し、おごれる平家、乱世のきっかけといわれる“殿下の乗合”事件をみる。
福原と厳島神社
現在の神戸市にあたる福原と世界遺産に指定された厳島神社(宮島)と平家納経を見る。清盛は後白河法皇と建春門院を厳島神社に招く。
鹿ケ谷事件
建春門院の病死後、清盛と後白河法皇の関係がほころび始め、法皇とその近臣らは平氏打倒へと傾いていく。謀議が行われたのは京都東山鹿ケ谷、俊寛の山荘。世にいう“鹿ケ谷事件”。その一部始終を見ていく。
首謀者の始末
事件の首謀者の一人藤原成親の妹を妻とする重盛(清盛の嫡男)の苦悩。成親は、平治の乱に続いて重盛の口利きで今回も一旦は死罪を免れたが、流刑地で始末される。同じく首謀者の俊寛僧都、藤原成経(成親の子)、平康頼の三人は鬼界が島へ流される。
重盛の諫言
後白河法皇を鹿ケ谷事件の首謀者とみた清盛は、法皇を幽閉しようとする。
鎧を身に着け戦闘体制にはいった清盛。平服でかけつけた重盛は、忠と孝の間で悩む。涙と共に、言葉の限りを尽くして父親の清盛をなだめ、法皇の幽閉を思いとどまらせる・・・・。
それから2年後、重盛は43歳という若さで亡くなる。
鬼界が島の流人
絶海の孤島、鬼界が島に流された俊寛、成経、康頼の三人の望郷の想いを見る。熊野権現の勧請、卒塔婆流し、そして中宮徳子の御産恩赦による赦文の到着、一人残される俊寛・・・・。“卒塔婆流”、“足摺”の朗読、能「俊寛」を交えて三人の心情を哀れ深く描く。
後白河法皇の幽閉
清盛は、2年前の鹿ケ谷事件では重盛に後白河法皇の幽閉を反対されたが、この度は、はばかることなく法皇を鳥羽殿に幽閉してしまう。
わびしい冬の鳥羽殿の様子を“城南之離宮”の朗読と絵巻で味わう。
平清盛の死
治承5年閏2月4日、「頼朝の首をわが墓前に捧げよ」と最後の言葉を残して死んでいった清盛の死を描く。
物語では悪人のように描かれた清盛は、政治、経済、外交などにわたって壮大な構想を持ち、国家や時代に対して独自の見識があって、高く評価すべき人ともされる。いずれにせよ、彼の存在感は圧倒的であった。清盛の死を読んだ我々は、自ずと物語の冒頭を思い起こす。琵琶の調べとともに、その一節を味わう。
[物語の伝説と歴史]
本巻に関係する物語の伝説と歴史の地を紹介。
・産品(三重県)-伊勢平氏発祥の地とされ、清盛の父忠盛の生誕地ともいわれる。
・福原(兵庫県)-清盛の作った新都福原の御所跡など。
・硫黄島(鹿児島県)-俊寛らが流された鬼界が島という絶海の孤島を見る。
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