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社 会 |
現代日本の形成過程 |
現代日本の形成過程
各巻セット 30,000円+税 |
真の国際協調時代を迎え、現在、日本の近・現代史を検証する。
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タイトル |
価格 |
対象学年・監修者・出演者 |
内 容 |
(1)国際社会の中の近代日本 ―黒船体験と岩倉使節団体験― 〈丸善出版作品〉 (DVD)SMA121D |
カラー |
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1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー提督率いる四隻の黒船が来航し、日本はその圧倒的な技術力と軍事力を目の当たりにする。さらに明治四年、新政府は岩倉具視を特命全権大使とする主要メンバーを欧米視察に派遣し、その西洋文明の強大さに驚愕する。この二つの原体験、つまり「黒船体験」と「岩倉具視使節団体験」が、その後の日本を発奮させ、近代化の道を邁進させることになる。['94] |
(2)パリ講和会議 ―五大国の栄光と挫折― 〈丸善出版作品〉 (DVD)SMA122D |
カラー |
企画・構成: |
第一次世界大戦は、初の世界戦争であった。それは3つの顕著な面を持った世界戦であったと言えよう。それはまず第一に技術革新、第二に大衆化、第三に国際化である。この様な前代未聞の世界大戦の戦後処理を行う場であるパリ講和会議もまた、世界が経験する初の国際会議であった。そして、五大国の一員として臨んだ日本も含め、すべての参加国が挫折感を味わう。['94] |
(3)ワシントン会議と日米協調
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: |
原敬は、ワシントン会議を協調路線への転換の好機と考え、全権に海軍大臣加藤友三郎、駐米大使幣原喜重郎を送った。加藤は軍縮の実現に向け、力強いリーダーシップを発揮し、英米日の主力艦の保有率を5:5:3とすること、また以後10年間は主力艦を建造しないという条約に調印した。これより日本はいわゆるワシントン体制下の不可欠のパートナーとして日米協調路線を歩み始める。['94] |
(4)ロンドン軍縮会議
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1930年、米、英、日の3国間で条約は締結された。日本の軍艦(補助艦)保有数対米6割を主張する米国と7割とする日本の主張とはかけ離れていたが、地道な交渉の末、69.75という数字を勝ち得た。にもかかわらず統帥権干犯という問題が起きる。それが原因で右翼青年により総理大臣・濱口雄幸は狙撃され、翌1931年死亡する。国際協調の狭い稜線の上を渡ろうとしていた日本は、戦争の淵へと転落してゆく。['94] |
(5)満州事変
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1931年9月19日、板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐ら関東軍幕僚たちは、奉天郊外の柳条湖付近で満鉄線路を爆撃すると、これを張学良軍によるものとして、その兵営を攻撃した。満州事変の勃発である。1932年1月、反日運動は中国全土に広がり、翌2月、国際連盟はリットン卿を団長とする調査団を派遣するが、3月、関東軍は清国最後の皇帝宣統帝溥儀を執政の座に据え、満州国の建国を宣言する。['94] |
(6)軍部支配
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
満州事変後、陸軍上層部には<皇道派>と<統制派>の対立が進行する。この陸軍上層部エリートたちの抗争とは別に、青年将校らが、昭和維新を叫んで次々にグループを作って行動を起こす。青年将校は<皇道派>に親近感をもって、真崎大将らを担ごうとし、両者に対して<統制派>が弾圧を試みるという構図となった。そして、ついに二・二六事件が勃発する。['94] |
(7)三国同盟
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1940年9月27日、日独伊三国同盟が調印された。松岡洋右外相は、アメリカとの戦争は避けるべきだとの認識を持っており、三国同盟は、対米交渉力を高める手段と考えていたのである。一方、アメリカでは、親独派と親英派が対立していたが、親独派である陸軍戦争計画課長、ジョージ・ストロングは、調査団をヨーロッパ全土に派遣し、その結果、ドイツと組むべきではないとの結論に達していた。['94] |
(8)日米開戦
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1941年3月、外務大臣松岡洋右は、ベルリンを訪れたヒトラーと会談を行う。松岡は、三国同盟にソ連を加えた4国同盟を結び米英を牽制し、日中戦争を有利に終了させたいと考えていたが、ヒトラーは松岡の構想に興味を示さなかった。その時既にヒトラーは対ソ連を決意、5月15日の開戦をめざして密かに大兵力の集結を進めていたのである。['94] |
(9)終戦への道
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1942年夏、日本が優勢に戦局を進める中、アメリカ国務省内に戦後計画のために作られた特別調査部の中に極東班が設置され、早くも日本の占領政策の研究が着手された。この極東班には数少ない知日派の人々が集められた。奇襲攻撃を行った日本に対する敵愾心が米国内にみなぎる中で、日本人や日本の文化・歴史に理解を持つこれらの知日派の人々が占領政策の原案を起草することになる。['94] |
(10)マッカーサーの日本
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
マッカーサーがマニラで用意した「ブラックリスト作戦」に基づき、完全武装のアメリカ兵が上陸した。死闘の末、出会ったアメリカ兵と日本国民。それは日本史上、はじめての日米両国民の大規模な接触であったが、陽気なアメリカ兵の素顔に日本人は驚かさせる。1945年8月30日、連合国最高司令官マッカーサーが愛機バターン号から降り立った瞬間こそが、この劇的な出会いの象徴であった。['94] |
(11)戦争の教訓
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1945年8月15日は日本にとってあの「黒船」体験に続く第二の原体験とも言えるものであった。つまり戦後日本の原体験は敗戦体験であった。戦前日本の軍事的発展主義は悲惨な終末を迎え、この決定的な国民体験は戦後日本の生き方を方向づけずにはおかなかった。日本国民のうちに非軍事的な生き方を求める機運が高まってきたのである。それが、戦後の諸改革を受け入れていく土壌となる。['94] |
(12)戦争の教訓 ―通商国家としての国際復帰:第二部―
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
戦後政治には3つの流れがある。第一に、占領初期に高まった社会党を中心とする革新陣営の路線であり、戦争への反省にたって軍国主義と国家主義を厳しく批判し平和と民主主義を追求する立場であった。第二に1950年に高まる伝統的国家主義路線である。第三は、占領後半期に主流となる経済中心主義の路線であり、自由主義体制の中で通商国家としての発展を求める立場であった。['94] |
(13)戦後日本の展開と終焉
〈丸善出版作品〉 |
カラー |
企画・構成: 五百旗頭真(神戸大学法学部教授) |
1960年代の高度経済成長の中で、経済国家・通商国家としての戦後日本の姿が明らかになった。臨海工業地帯が次々に作られ、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された。企業戦士としてひたすら働き続ける日本人も、マイホーム主義と呼ばれる様に、生活を楽しむことができるようになった。戦後日本に経済主義が定着したのである。['94] |
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